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東京地方裁判所 昭和62年(行ウ)80号 判決

原告

鄧國強

右訴訟代理人弁護士

笹原桂輔

笹原信輔

被告

東京入国管理局

主任審査官

飯塚五郎

被告

法務大臣

林田悠紀夫

右被告両名指定代理人

西口元

外五名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告法務大臣が昭和六二年三月二五日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

2  被告東京入国管理局主任審査官が昭和六二年四月一三日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件の各処分に至る経緯

(一) 原告は、香港から本邦へ渡航してきた者で、昭和五九年一月一二日、東京入国管理局羽田空港出張所入国審査官から出入国管理及び難民認定法(以下、単に「法」という。)四条一項四号の在留資格(以下「在留資格四―一―四」という。)及び在留期間九〇日を付与され、本邦へ上陸した。

(二) 原告は、右の在留期間の更新をすることなく、在留期限である同年四月一一日を経過した後も引き続き本邦に残留し、昭和六〇年六月七日、東京入国管理局に不法残留している旨を申告した。

(三) 同局入国警備官は、昭和六一年一月一四日、原告の違反調査を行い、その結果、原告につき法二四条四号ロに該当すると疑うに足りる相当な理由があるとして、同年六月一八日、同局主任審査官から収容令書の発付を受け、同月二三日に原告を同局収容場に収容し、同日、法二四条四号ロ該当容疑者として同局入国審査官に引き渡した。なお、同局主任審査官は、同日、原告から仮放免・特別在留許可願出書の提出を受け、原告に対し認定若しくは判定の確定又は大臣裁決の結果の告知までとの期限付きで仮放免を許可した。

(四) 同局入国審査官は、審査の結果、同年一一月二八日、原告につき法二四条四号ロに該当する旨の認定を行い、同日、原告に通知したところ、同日、原告から口頭審理の請求があったので、この旨を同局特別審理官に通知した。

(五) 同局特別審理官は、昭和六二年二月一二日、原告につき口頭審理を行い、同局入国審査官の認定に誤りはない旨判定し、同日、原告に通知したところ、原告は、同日、違反事実は争わないが、本邦にこのまま在留することを認めて欲しいとして、被告法務大臣に異議の申出をした。

(六) 被告法務大臣は、同年三月二五日付けで、原告の右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。

(七) 被告東京入国管理局主任審査官(以下「被告審査官」という。)は、被告法務大臣から本件裁決の通知を受け、同年四月一三日付けで原告に本件裁決を告知するとともに、送還先を「中国(香港)」とする退去強制令書を発付(以下「本件退令発付処分」という。)した。

(八) 原告は、本件退令発付処分に基づき、同日、同局収容場に収容され、同年五月二八日、横浜入国者収容所に移送され、現在同収容所に収容されている。

2  本件裁決及び本件退令発付処分の違法性

(一) 原告が日本へ渡航するに至る経緯

(1) 原告は、昭和三一年八月二〇日、ラオス王国のビエンチャンで出生した華僑である。

(2) ラオス国内は、昭和五〇年初頭ころからベトナム戦争の余波を受けて騒然となり、同年八月末ころ、パテト・ラオ軍により占領され、革命政権が樹立された。

(3) 革命政権が樹立し、共産化された後のラオスは、イデオロギー面での再教育が開始され、また、銀行を始めすべての企業及び個人の財産は没収され、テレビ、ラジオの傍受規制、外国語表示の禁止など様々な規制が加えられた。

(4) 原告は、右(3)のような状況下のラオスで生活することを断念し、ラオスを脱出し、第三国へ渡って新生活を築くことを決めた。そして、原告は、タイ国旅券を不正入手し、昭和五一年二月二九日、飛行機でラオスを出国し、同年三月一〇日、タイ経由で香港に上陸した。

(5) 原告は、香港に嫁いでいた姉の鄧月香の協力を得て同地で生活を始め、その間他の原告の家族全員がラオスを出国し、第三国に行ける目途がついた後、原告の父の次兄の次女である鄧蓮及び原告の父の長兄の子である鄧國華の子である鄧武及び鄧漢元兄弟が生活している日本に保護を求め、日本で生活することを決めた。原告は、昭和五八年九月一日、香港に七年以上居住する華僑に与えられる身分証明書を取得し、同年一二月二〇日、在香港日本国総領事館で観光目的の短期査証を取得した上、昭和五九年一月一二日、本邦に上陸した。

(二) 原告の在留特別許可該当事由

(1) 日本政府は、昭和五二年以降、約二〇〇万人以上に上るいわゆるインドシナ難民(以下、単に「インドシナ難民」という。)の救済について、国際協力の一環として、難民問題を抱えている諸国に対する経済援助のほか、インドシナ難民の受け入れ、定住の枠を順次拡大してきた。そして、昭和五六年四月二八日には「難民の地位に関する条約等の加入に伴う出入国管理令その他関係法律の整備に関する法律案」が国会に上程され、同年六月五日には「難民の地位に関する条約」が国会で承認された。

(2) 日本政府は、同年五月二二日、第九四回国会の衆議院法務委員会において、インドシナ難民に関し、次の内容のいわゆる「流民に対する在留特別許可取扱い方針」(以下「本件取扱い方針」という。)を明らかにした。

① インドシナ三国の旧旅券で本邦に入国し、そのまま不法在留となった者については、帰る国がないという事情を考慮して、在留を特別に許可する。

② 台湾、タイ等の第三国旅券を所持していても、それが他人名義の旅券を不正入手したものである場合には①と同様に取り扱う。

③ 台湾旅券等を正規に取得して本邦に入国している者については、次のような事情にある者は特段の忌避事由のない限り、在留を許可する。

(a) 日本人又は正規に在留する外国人と親族関係にある者。

(b) 両親、兄弟等が、第三国の難民キャンプに収容されているなどのために、本邦から出国しても適当な行き先がない者。

(c) その他、特に在留を許可する必要があると認められる者。

(3) 原告は、前記2の(一)のとおり、インドシナ戦争とこれに伴う政変によって故国を失ったインドシナ難民であり、タイの旅券を不正取得してラオスを出国したものであること、また、本邦への上陸に関して香港政庁から発給を受けた身分証明書は、旅券に代わる証明書を提供するという目的から発給されたもので、国籍を証するものではなく、右身分証明書によっては海外駐在の英国大使館及び領事館の保護を受ける権利を与えられるものではないことから、本件取扱い方針②に該当する。

(4) 原告と親族関係にある鄧蓮並びに鄧武及び鄧漢元兄弟が本邦に正規の在留資格を持って在留しており、原告は本件取扱い方針③の(a)に該当する。

(5) 原告には、母親及び兄弟姉妹五人の家族がいるが、母親の朱金錠、弟の鄧國正、妹の鄧月圓及び鄧月如はいずれも在タイ・ウボン難民キャンプからオーストラリアに行き、昭和五五年九月難民と認定され、同国で生活しており、兄の鄧國健は在タイ・ウボン難民キャンプからアメリカに行き、同国で難民としての在留資格を得て、同国で生活をしている。原告の送還予定先の中国(香港)には姉の鄧月香がいるが、同人は香港で結婚し、所帯を構えて生活しており、原告がその家族と生活を共にすることは不可能であり、また、同国には他に親類もおらず、生活の基礎となるものはない。このように、原告は本邦から出国しても適当な行き先がなく、本件取扱い方針③の(b)に該当する。

(6) 原告が本邦に渡航することになった経過は前記2の(一)のとおりであること、原告は性格的にも能力的にもすぐれた資質を有しており、本邦に上陸した後の生活態度は勤勉かつ真面目であり、日本語の理解も十分であることからすると、本件取扱い方針③の(c)に該当する。

(三) 本件裁決の違法事由

本件取扱い方針は、同方針中に「特段の忌避事由のない限り在留を許可する。」とされていることからしても、原則として在留を認める運用がされなければならず、特段の忌避事由である例外的事情のある者についてのみ不許可処分ができるということであるから、その運用においては裁量権に一定の制約があるというべきである。

原告は、右(二)の(3)ないし(6)のとおり、本件取扱い方針に該当するインドシナ難民であるところ、被告法務大臣は、右各事実を正当に評価せず、法五〇条一項三号の在留特別許可(以下「在特許可」という。)を与えなかったものであるから、本件裁決は違法である。

また、被告法務大臣は、本件取扱い方針に基づき、鄧蓮、鄧武、鄧漢元、陳漢城、李観佑、林静及び賀思豊につき、いずれも在特許可を与えているが、右の者らはいずれもラオス出身の華僑であり、革命政権による迫害から逃れるため同国を脱出し、日本国の保護を求め、これが認められた者であること、鄧武、鄧蓮についてはタイに、鄧漢元、陳漢城、李観佑、林静及び賀思豊については台湾に、それぞれ本邦に上陸するまである程度の期間滞在していたこと、来日の動機は故国を失ったということであり、副次的に日本国の民主制度、生活環境及び経済的豊さに魅力を感じていたこと、本邦への上陸は、鄧武及び鄧蓮を除きいずれも観光目的の査証によるものであり、その際の在留資格は四―一―四であったこと、家族の状況は、鄧武及び鄧漢元のそれはフランス、タイ、オーストラリア、アメリカ及びカナダに、鄧蓮のそれはアメリカに、陳漢城及び林静のそれはカナダに、それぞれ難民認定を受けてそれぞれの国で生活していること、以上の諸点はすべて原告と同一、同様の事情、事実関係にあるところ、原告に限って在特許可を与えないというのは憲法一四条の平等原則に反するものであり、本件裁決は、被告法務大臣の裁量権の行使を誤った違法なものである。

(四) 本件退令発付処分の違法事由

本件裁決は右(三)のとおり違法であるところ、これに基づいてされた本件退令発付処分もまた違法である。

3  よって、原告は、本件裁決及び本件退令発付処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2について

(一) (一)の(1)、(2)の事実、(4)の事実のうち、原告が昭和五一年二月二九日、飛行機でラオスを出国し、同年三月一〇日、タイ経由で香港に上陸したこと、(5)の事実のうち、原告が香港で生活を開始し、昭和五八年九月一日、香港に七年以上居住する華僑に与えられる身分証明書を取得し、同年一二月二〇日、在香港日本国総領事館で観光目的による短期査証を取得した上、本邦に上陸したことは認め、その余の事実は知らない。

(二) (二)の(1)、(2)の事実は認める。(3)、(4)の主張は争う。(5)は、原告の姉の鄧月香が香港で結婚し、所帯を構えていることは認めるが、その余の事実は知らず、主張は争う。(6)の主張は争う。

(三) (三)は、鄧武、鄧蓮及び李観佑以外の原告主張の者が在留特別許可を受けていることは認め、原告主張の者に関する事情は知らず、その余の事情は否認し、主張は争う。

(四) (四)の主張は争う。

三  被告らの主張

1  原告が日本に渡航するに至る経緯

(一) 原告は、昭和四五年ビエンチャン市の寮都中学校を卒業後、家業の喫茶店業に従事していたが、昭和四七年三月からは親戚のガラス店店員として働いていた。昭和五〇年六月七日、原告の父が死亡し、家族の生活が苦しくなったことから、原告は、母から、姉のいる香港へ行き、働いて送金するように言われ、ラオスから出国することを決意した。

(二) 原告は、タイ旅券を不正入手した上、同旅券を使用してラオスを出国し、香港に上陸した後、姉の鄧月香夫婦と同居しながら雑貨店店員として働いた後、昭和五二年四月から金門有限公司の溶接工見習いとして働いたが、昭和五八年八月、不況による人員整理のため解雇された。

その後、原告は、先に渡日していた鄧漢元から「日本は仕事も多いし、給料も高いから働きに来ないか。」との誘いを受けて、日本国へ行くことを決意した。

(三) 原告は、昭和五八年九月一日、香港政庁から原告名義の身分証明書の発給を受け、同年一二月二〇日、稼働目的を隠したまま在香港日本国総領事館で観光目的の短期査証を取得し、昭和五九年一月一二日、在留資格四―一―四、在留期間九〇日を付与され、本邦に上陸した。

原告は、本邦に上陸後、東京都内の中華料理店等の飲食店で皿洗い、調理師見習いとして働いていた。その間、原告は在留期間更新の手続をとることなく、右期間を超えて本邦に残留している。

2  本件裁決の適法性

(一) 本件裁決の性格

(1) 国家は、条約等特別の取決めが存在しない限り、外国人に対しその入国及び在留を許可するどうかを自由に決することができ、その反面として、外国人は当該所属国以外の国家に対しては入国及び在留の権利を有するものではない。右は、国際慣習法上の大原則として認められているところである。法は、我が国における出入国関係を規律する法律として、右の国際慣習法を前提として定められたものであり、その入国及び在留に関する処分は原則として自由裁量処分である。

(2) 法五〇条の在特許可は、法の性格及び同条の規定に何らの制限が付されていないことから、法務大臣の自由裁量により決せられるものである。右許可は、外国人の出入国に関する処分であり、当該外国人の在留状況等の個人的事情のみならず、公安、衛生、労働事情等の国内事情及び国際情勢、外交政策等の対外的事情が総合的に考慮されるものであることから、右許可の裁量の範囲は極めて広範囲にわたることになる。また、右許可は、退去強制事由に該当することが明らかであって、当然に本邦から退去を強制されるべき者に対し、特に在留を認める処分であることから、他の一般の行政処分とは異なり、恩恵的措置としての性格をも有しているものであって、この点においてもその裁量の範囲は広いものである。

(二) 原告が本件取扱い方針②及び③のいずれにも該当しないことについて

(1) 原告は、香港政庁が原告に対し発給した身分証明書を所持し、それを使用して本邦に入国したものであって、他人名義の旅券を不正入手して入国したものではない。また、右身分証明書は、七年以上香港に居住し、同国に永住権を有する者に対して発給される、いわゆる外国人旅券であり、その有効期間は一〇年であって、その間はいつでも香港に帰国できるのである。したがって、原告は本件取扱い方針②に該当しない。

(2) 本件取扱い方針③の(a)でいう「正規に在留する外国人と親族関係にある者」の親族とは、民法上のそれをいうのではなく、依存関係にある親、兄弟の範囲をいうのであって、原告の父の長兄の子である鄧國華の長男である鄧武及びその弟の鄧漢元や、原告の父の次兄の次女である鄧蓮と原告との関係にまで及ぶものではない。したがって、原告は本件取扱い方針③の(a)に該当しない。

(3) 原告の送還予定先である中国(香港)には姉の鄧月香が在住しており、また、原告は香港政庁発給の身分証明書を所持しており、いつでも香港に帰国することができる。したがって、原告は本件取扱い方針③の(b)に該当しない。

(4) 原告はラオスで出生し、教育を受け、二〇歳まで同国で生活した後、タイ国旅券を不正入手して香港に渡り、同地で八年間姉の鄧月香夫婦とともに生活していた者で、今回本邦に入国するまでもともと本邦とは何ら関わりがなかった者である。また、原告の入国目的は本邦で稼働することであったが、在香港日本国総領事館に観光目的とする虚偽の査証申請をし、本邦に入国したものであり、右行為は遵法精神に欠ける悪質なものであるところ、原告は単に本邦の経済事情が良いということのみで本邦に在住を求めているのであるが、このような事情で本邦に在住することは認められない。

以上のとおり、原告について特に在住を認めるべき事情は全く存しない。したがって、原告は本件取扱い方針③の(c)に該当しない。

(三) 平等原則違反について

原告は、ラオス出身者で本邦で在特許可が与えられている者と原告とを比較して平等原則に反すると主張するが、法務大臣がする在特許可は、外国人の個人的事情はもとよりその他一切の事情を総合的に判断した結果されるものであるから、一部類似する事情をとらえて、それを過大に評価したにすぎない原告の主張は意味がない。また、原告が比較の対象とした者らの内六名の事情は次の(1)ないし(6)のとおりであって、一つとして同一のものはなく、何ら原告を不平等には扱っていない。

(1) 鄧蓮について

同人は在タイ・ウボン難民キャンプに収容中の定住難民(閣議了承)として、昭和五六年一一月一三日、法四条一項一六号、規則二条三号に定める在留資格(以下「在留資格四―一―一六―二―三」という。)及び在留期間三年を付与され、本邦への上陸を許可され、在留している者である。

(2) 鄧武について

同人は、鄧蓮と同じ経過で、昭和五六年一一月一三日、在留資格四―一―一六―二―三及び在留期間三年を付与され、本邦への上陸を許可され、在留している者である。

(3) 鄧漢元について

同人は、先に本邦での在留を認められた兄の鄧武と助力し合って本邦で生活をしたいとして入国し、在特許可となった者である。

(4) 陳漢城について

同人は、家族がカナダで生活しており、台湾には親族や頼れる者がいない者である。

(5) 李観佑について

同人は、台湾旅券を不正に入手し、それを使用して本邦に入国した者であり、定住難民として受け入れた者である。

(6) 林静について

同人は、旧ラオス政府発給の旅券を所持して出入国していた経緯があり、その家族は在タイ・ウボン難民キャンプに収容され、同人が本邦から出国しても適当な行き先がない者である。

(四) 以上の事情を考慮すれば、本件裁決において原告に対し在特許可を与えないとした被告法務大臣の判断は、何ら事実の基礎を欠くものではなく、また、右判断が社会通念上著しく妥当性を欠くものではないから、本件裁決における在特許可に関する被告法務大臣の裁量権の行使につき、その裁量権を濫用し又はその範囲を逸脱した違法はなく、本件裁決は適法である。

3  本件退令発付処分の適法性

主任審査官が法四九条五項の規定により行う退令発付処分は、法務大臣から異議の申出は理由がないと裁決した旨の通知を受けた場合に行われるものであって、主任審査官は右通知を受けた場合は必ず退去強制令書を発付しなければならないのであり、これは裁量の余地のない覊束行為である。

本件退令発付処分は、右2のとおり適法に本件裁決がされ、その通知を受けた被告審査官が法四九条五項の規定により行ったものであるから、適法である。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告らの主張1について

(一)は、原告が母から、姉のいる香港へ行き、働いて送金するように言われたことからラオスを出国する決意をしたことは否認し、その余の事実は認める。

(二)は、原告が先に渡日していた鄧漢元から「日本は仕事も多いし、給料も高いのだから働きに来ないか。」との誘いを受けて日本へ行くことを決意したことは否認し、その余の事実は認める。

(三)は、原告が査証の取得に当たり、稼働目的を隠していたことは否認し、その余の事実は認める。

2  同2について

(一) (一)の(1)の主張は争う。

(2)の主張は争う。在特許可をするについて法務大臣に一定の裁量権はあるが、それは全くの自由裁量ではない。

(二) (二)の(1)は、原告が香港政庁発給の身分証明書を所持していること、右身分証明書は七年以上香港に居住する者に対して発給されるものであることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

(2)は、鄧武が原告の父の長兄の子である鄧國華の長男であること、鄧漢元が鄧武の弟であること、鄧蓮が原告の父の次兄の次女であることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。本件取扱い方針③の(a)でいう「親族関係」とは、親、兄弟に限定するものではなく、広く生活を依存する関係を有する親族全般を指すというべきである。原告は、先に正規の在留資格を取得して本邦で生活をしていた鄧漢元を頼って本邦に入国したのであり、また、本邦に入国後は同人と生活を共にし、依存関係にあった。

(3)は、香港に姉の鄧月香が在住していること、原告は香港政庁発給の身分証明書を所持していることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。本件取扱い方針③の(b)は、生活の本拠となる適当な行き先がない場合には、在留を許可するという性質のものであるところ、香港は原告が生まれ育った故国ではなく、一時的に上陸したに過ぎない国であり、同国は適当な出国先ではない。

(4)の主張は争う。

(三) (三)の冒頭部分の主張は争う。

(三)の(1)ないし(3)の事実は認める。(4)ないし(6)の事実は知らない。

(四) (四)の主張は争う。

3  同3の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一処分の存在

請求原因1(本件各処分に至る経緯)の事実は、当事者間に争いがない。

二本件裁決の違法性について

1  原告は、本件裁決の違法事由として、被告法務大臣が本件裁決において原告に対し在特許可を与えなかったことが裁量権の行使を誤ったものであると主張する。

法四九条一項に基づく異議の申出に対してする被告法務大臣の裁決は、特別審理官によって誤りがないと判断された入国審査官の認定の当否を重ねて審査、判断するものであるが、法五〇条一項によれば、被告法務大臣は、裁決に当たり、異議の申出が理由がないと認める場合でも、一定の要件が存在するときは異議申出人に在特許可をすることができるとされており、異議申出もこれを求める趣旨を含むとみるのが相当であるから、異議を棄却する裁決は、右入国審査官の認定を相当するとの判断に対する異議を排斥する処分であると同時に、在特許可をすべき場合にも当たらないとしてこれを付与しない処分としての性質をも併せ有するものである。そうすると、裁決に際して在特許可を与えなかった被告法務大臣の判断に違法がある場合には、異議の申出を棄却した裁決は違法となるというべきである。

そして、法五〇条一項に規定する在特許可の判断は、外国人の個人的事情のほかに、国際情勢、外交政策等の事情をも考慮の上されるものであって、被告法務大臣の広汎な裁量に委ねられているものである。しかし、右の裁量はもとより無制限ではなく、裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があった場合には、その処分は取消しを免れない。

2  そこで、本件裁決に際し在特許可を与えなかった被告法務大臣の判断に裁量権の逸脱又は濫用があったかどうかについて検討する。

(一)  まず、原告は、原告が本件取扱い方針②及び③に該当するにもかかわらず、被告法務大臣は右事実を正当に評価せず、在特許可をしなかったものである旨主張する。

(1) 本件取扱い方針の内容が請求原因2の(二)の(2)のとおりであることは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、本件取扱い方針は、インドシナ三国におけるかつての戦乱、政変を逃れて故国を離れ、いったん第三国に落ち着いた後本邦に入国して不法残留しているいわゆる流民と称される人々につき、難民の地位に関する条約の承認やこれに伴う関係法令の整備という当時の状況を背景に、その保護の必要性等を考慮して、取扱い方針に該当する場合に在特許可を与えることにしたものであることが認められる。

(2) そこで、本件裁決及び本件退令発付処分の判断の対象となる原告の事情等について検討する。

請求原因2の(一)(原告が本邦へ渡航するに至る経緯)の(1)、(2)、(4)(ただし、原告がラオスを脱出する決意をした背景事情を除く。)、(5)(ただし、原告の香港での生活の状況及び原告が本邦で生活することを決意した背景事情を除く。)及び被告らの主張の1(原告が本邦へ渡航することに至る経緯)の(一)(ただし、原告がラオスから出国する決意をした背景事情を除く。)、(二)(ただし、原告が本邦へ渡航することを決意した背景事情を除く。)、(三)(ただし、原告が査証の取得に当たり稼働目的を隠していたことを除く。)の各事実は当事者間に争いがなく、右事実及び前記一の争いのない事実(請求原因1の事実)、に、〈証拠〉を総合すれば、以下の(ア)ないし(キ)の事実が認められる。

(ア) 原告は、昭和三一年八月二〇日、ラオスのビエンチャン市で出生した中国国籍を有する華僑であり、昭和四五年同市の寮都中学校を卒業後、家業の喫茶店業に従事していたが、昭和四七年三月からは親戚のガラス店で働いていた。原告は、昭和五〇年六月七日に父が死亡し、家業の喫茶店経営が行き詰まり生活が苦しくなったため、母から姉の鄧月香が生活している香港へ行き、働いて送金するよう言われたことや、同年八月末ころラオス国内がパテト・ラオ軍に占領され、共産主義の革命政権が樹立され、同国内での生活事情が悪化したことから、同国を出ることを決めた。

(イ) 原告は、母の友人の黄文を通じてタイ国旅券を不正入手し、昭和五一年二月二九日、右旅券を使用してラオスを出国し、タイのバンコクを経由して、同年三月一〇日、香港に到着した。その際、原告は、右旅券を黄文に返還した。

原告は、香港に不法入国後、移民局に出頭し、その後在留資格を取得して、一年ごとに右資格の更新を行っていた。

(ウ) 原告は、香港において姉の鄧月香夫婦と同居しながら雑貨店の店員として働いた後、昭和五二年四月から金門有限公司において溶接工見習いとして働いたが、昭和五八年八月、不況による人員整理のため解雇され、その後は土工などをして働いた。

原告は、引き続き姉の鄧月香夫婦と同居していたところ、本邦で在特許可を得て生活していた原告の父の長兄の子である鄧國華の子の鄧漢元から、「日本は仕事も多いし、給料も高いから来ないか。」という内容の手紙を受け取り、本邦で仕事をみつけ本邦で生活しようと考えるに至った。

(エ) 原告は、昭和五八年九月一日、七年以上香港に在住する外国人に対して発給される身分証明書の発給を受け、同年一二月二〇日、在香港日本国総領事館で観光目的による短期査証を取得し、昭和五九年一月一二日、本邦で仕事をみつけ、そのまま本邦で生活を続ける目的を持って本邦に入国し、右査証に基づき在留資格四―一―四、在留期間九〇日を付与され、本邦に上陸した。

右身分証明書は発給後一〇年間有効であり、原告の有効期限は昭和六八年八月三一日までである。原告は、右身分証明書を所持していれば、右の期間中査証がなくても香港へ自由に再入国できることができるものである。

(オ) 原告は、本邦に上陸後昭和五九年四月一〇日までは、本邦で在特許可を受けて生活している鄧漢元の兄の鄧武と、その妻でありまた原告の父の次兄である鄧河衍の次女という関係にある鄧蓮夫婦と同居し、それ以後は鄧漢元と共同でアパートを借りて生活し、同年二月以降収容されるまで、東京都内の中華料理店等の飲食店数軒で皿洗いや調理師見習いとして働いていた。原告は、その間に約一四七万円を貯蓄している。

(カ) 原告は、本邦へ上陸した目的が本邦で仕事をみつけ、そのまま生活を続けることであったことから、元々在留期間の更新申請をするつもりはなく、また、鄧漢元からも、観光査証で上陸しても二年間位残留を続ければ本邦で在留することができるとの話を聞いていたこともあって、在留期間経過前に在留期間の更新申請を行わず、在留期間経過後も本邦に残留した。原告は、昭和六〇年六月七日、弁護士笹原桂輔を通じて東京入国管理局に不法残留している旨申告し、その後、請求原因1の(三)ないし(八)のとおり退去強制手続がとられ、現在に至っている。

(キ) 原告の家族は、香港に在住する姉の鄧月香以外の者は昭和五四年にラオスから在タイ・ウボン難民キャンプに移った後、母の朱金錠及び弟の鄧國正が昭和五五年に、妹の鄧月圓及び鄧月如が昭和五六年に、それぞれオーストリアの難民認定を受けて同国に移住し、兄の鄧國健が昭和五五年にアメリカの難民認定を受けて同国に移住している。

以上の事実が認められ、右認定に反する〈証拠〉は前掲各証拠に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 本件取扱い方針②は、台湾、タイ等の第三国旅券を所持していても、それが他人名義の旅券を不正入手したものである場合には同方針①と同様に扱う、というものであるが、原告は、七年余り香港に在住し、香港政庁から旅券に代わる身分証明書の発給を受け、それを使用して本邦に入国したのであるから、同方針②に該当しないことは明らかである。

なお、原告は、ラオスからの出国に際して不正入手したタイ国旅券を使用しているが、右旅券の取得及び使用は本邦への入国と何ら関係がなく、また右旅券により上陸した後の香港での在住が適法なものとなったことは右(2)の認定により認められるところであるから、右判断を左右するものではない。

(4) 本件取扱い方針③の(a)は、台湾旅券等を正規に取得し、本邦に入国している者につき、日本人又は正規に在留する外国人と親族関係にある者は特段の事情がない限り在留を許可する、というものである。

原告が本邦に正規に在留する外国人として主張する者は鄧漢元、鄧武及び鄧蓮の三名であり、前二者は原告の父の長兄の子(従兄)である鄧國華の子であり、鄧蓮は鄧武の妻であるほか原告の父の次兄(従兄)である鄧河衍の次女であるという関係にある。

ところで、〈証拠〉によれば、第九五回国会の衆議院法務委員会において、本件取扱い方針③の(a)にいう「親族」の意味に関し、政府委員は、民法上の親族を指すものではなく、基本的には、家族の離散をなるべく防止して人道上の配慮をしようという考えに基づいたもので、夫婦、親子又は兄弟といった生活上お互いにある程度の親密な依存関係が認められる関係にある者を指しているが、実際の運用はケースバイケースで弾力的に考えていきたい旨説明していることが認められる。

そこで、右方針が予定している「親族」の範囲について考えるに、方針自体の文言及び右の政府委員の解釈によれば、右方針にいう「親族」は夫婦、親子、兄弟の関係にあるものに限るということはできないにしても、単に民法上の親族に該当する関係にあるだけでは足りず、それに加えて生活上の依存関係を有し、あるいは生計を同じくする関係が認められる者であることが必要であるというべきである。

原告と鄧漢元、鄧武、鄧蓮の関係をみると、鄧漢元及び鄧武兄弟とは民法上五親等の親族に、鄧蓮とは四親等の親族に該当するが、原告自身、その本人尋問において、本邦に入国する以前は、親族間での金銭上の援助はあったが、生活上の依存関係は有していなかった旨供述しており、その他その間に生活上の依存関係を認めるに足りる証拠はない。そうすると、原告は本件取扱い方針③の(a)に該当しないものというべきである。

なお、原告は、本邦に上陸後右三名と生活上の依存関係を有していたと主張するが、それは本邦に上陸した後の事情であり、かつまた、仮に右関係が存在していたとしても、右関係は観光を目的とした本邦への上陸とは相容れないものであり、稼働目的をもって入国し、そのまま本邦に留どまった結果形成されたものであるから、右判断を左右するものではない。

(5) 本件取扱い方針③の(b)は、両親、兄弟等が第三国の難民キャンプに収容されているなどのために、本邦から出国しても適当な行き先がない者、というのであるが、原告は香港政庁が正規に発給した旅券に代わる身分証明書を有しており、同証明書を所持していれば、同証明書発給後一〇年間は香港にいつでも帰国できるものであることからすると、原告は本件取扱い方針③の(b)に該当しないことが明らかである。

なお、原告は、香港は故国ではなく、生活の本拠となる適当な行き先ではないと主張するが、原告は七年余り香港に居住していたものであり、また、〈証拠〉によれば、原告は香港において仕事をみつけられないということはなく、就職するに際しても特に差別はないということであり、原告が香港に帰って居住するについて特別支障となる事情は窺えないこと、他方、原告が本邦で生活を続けたいという主たる理由は経済事情が良いということに尽きることが認められ、これによると、原告が香港に在留し、生活を維持することができないとはいえず、右主張は右判断を左右するものではない。

(6) 本件取扱い方針③の(c)は、その他特に在留を許可する必要があると認められる者、というものであるが、前記(2)の認定に後記(二)で認定の事情を含めても、原告につき特に本邦に在留を認める必要性があるとはいえず、その他原告に対する在特許可を判断する上において特に考慮すべき事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

(二)  次に、原告は、鄧蓮以下七名の者が本邦において在特許可を受けていることを取り上げ、これらの者と同様な事情の下にある原告に限って在特許可を与えないのは憲法一四条の平等原則に反すると主張する。

しかし、〈証拠〉を総合すれば、原告と右七名の者との間で共通する事情としては、いずれも出生地がラオスであること、鄧蓮及び鄧武以外の者の国籍が中国であること、賀思豊以外の者の家族につき、その全部又は一部がラオスを追われ、第三国又は難民キャンプに移住していることという程度のことが認められるにすぎず、右の程度の事情の共通性では、原告と右七名の者とを同一に扱わないことが不平等であるとは到底いえない。その他、原告と右七名の者とを一様に扱わなければならないとする程の事情の同一性、共通性を認めるに足りる証拠はない。

(三) 右(一)及び(二)の認定によれば、被告法務大臣が原告に在特許可を与えなかったことにつき、判断の前提となる事実の認定又はその評価において、あるいは他の在特許可を与えられた者との関係での取扱いにおいて、裁量権の逸脱又は濫用があったとはいえないから、本件取扱い方針に該当すること、あるいは平等原則違反の取扱いを前提として本件裁決の違法をいう原告の主張は失当である。

3  したがって、本件裁決は、これを違法とすることはできない。

三本件退令発付処分の違法性について

本件裁決は違法とはいえないことは右二のとおりであるから、本件裁決の違法を前提として本件退令発付処分の違法をいう原告の主張は失当である。

したがって、本件退令発付処分は、これを違法とすることはできない。

四結語

よって、原告の本件各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官佐藤道明 裁判官青野洋士)

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